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黒菱山荘の半世紀 [3]

同窓会副会長・黒菱山荘委員会委員長 浦川伸一(高校32回)

3. 学校行事と黒菱山荘

 竣工と同時に黒菱山荘は、学校の課外活動用の施設として使用を開始され、毎年数多くの生徒を迎え入れ続けてきた。夏山教室は、例年7月24日から8月6日頃まで唐松岳登山や飯倉炊飯などを主体に山小屋の生活を体験できるような内容を工夫してきた。

 冬山教室はスキー講習を主体とした内容で、例年12月24日から1月7日頃まで年越しの実施、春山教室は3月22日から4月5日頃までそれぞれ行なわれてきた。

 各教室は、それぞれ3つの班に分けられ行なわれてきた。一つの班は通常教員2,3名と生徒30名前後で構成し、東京から教員の方々が夏は電車、冬春はバスで引率してこられた。

 一行が入荘してから出荘するまでは、石神井の卒業生の有志が学生時代の間、2,3年に亘り生活指導や炊事等、生徒たちの世話をしてきた。

 この有志は、当初山岳部OB、OGを主体に始まったが、次第にその輪は石神井高校の中に広がり、高校時代に山経験のない人達もこの山荘の魅力にひかれ、毎年山荘の仕事を引き継いできた。いわゆる山荘OB、OGである。その山荘OBの一人である佐藤氏(高校25回)は、当時のことを昭和50年の校誌石神井に次のように記している。

「二人、二人、三人。赤いザックに黄色いザック。両手に袋をぶら下げている生徒もいる。尾根つたいの涼風が心地良いことだろう。いよいよ生徒達の到着である。
 一週間前から準備の為に入荘していた我々OBが最もうれしいそして緊張する瞬間である。今朝はいつもより念入りに歯を磨いたし、久しぶりに髭も剃ったし、ザックの奥の方に仕舞っておいた櫛なども登場した。OBの頭髪に何日振りかの分け目が入っている。リーダーのS氏はアフターシェーブローションまで塗っている。紅一点のN女史は唖然。」

 黒菱山荘近辺でのスキー講習は、本格的なアルペンスキー場ということもあって、素人の生徒を指導するのは一苦労であった。山荘OBの直川氏(高校26回)は昭和50年の校誌石神井に以下のように記している。

 「様々な方法でスキー教育が行われていた。ゲレンデにスリッパで出て行き、大声をはりあげる先生、一本滑っては『プカー』と一服するOB、八方のゲレンデをあちこちと時間一杯滑りまくる先生、ムカデ、練習後に山荘の裏で泳いだこともあった。新雪のため、雪の中を泳ぐのである。このような中から、生徒と教師のコミュニケーションが、一層深まっていったようである。」

 山岳部や山荘OBあっての山荘と思われがちだが、山荘における教員の方々の存在というのは絶大であり、ご多忙の中、山荘を支え続けてきて下さった教員は数知れない。昭和39年に石神井に赴任なさり、その後20年以上もの長きに亘り山荘に尽力されてきた保母先生もそのお一人である。

 「冬のスキー指導は寒さとの戦いである。易しいスキー操作の反復練習の後、歩き始めるが山荘を一周するのに小一時間必要である。強風で有名な八方尾根では、山荘周辺の地形が複雑怪奇の様相を呈し、雪面とスキー操作の読みがないと動きがとれない。熟練者は一周に2分と掛からないから、じっと待つ。助けたい気持ちをおさえ我慢する。寒さに耐えることは初心者指導の必須の条件である。 (中略)春のスキー教室が終り、後始末の仕事が始まると、幾人かのOBの落着きがなくなる。大学も4年となると就職、卒業論文等で多忙になり、山荘を追い出されることになるからである。教え子と教師の関係は、とっくの昔に消え、同じ釜の飯をつついた山の仲間であり、スキー仲間である。保母『先生』がいつの間にか『サン』になっており山荘の先輩達を呼ぶ呼び方と同じになっている。」

 一方、山荘の存在意義そのものであった生徒の目には、山荘とはどういう風に映っていたのだろうか。

 「山荘は素晴らしい所だと思います。学年など関係なく新しい友達がたくさん出来、東京では決して味わえない生活ができます。
 今の世の中、お金さえ出せば好きな所へ、好きなことをしに行けます。しかし、見知らぬ人達との集団生活で新しい友達を得たり、楽しさ、素晴らしさを味わうことは決してどこででも経験できることではありません。年々山荘に来る人が減ってきて、それも特定の人達に限られてきています。もっともっと多くの人に来てもらい、いろいろな経験をし、たくさんの思い出を作っていってほしいと思います。」

 と、昭和58年の校誌石神井で語ってくれたのは、高校時代に五回も山荘を訪れ、自らも山荘OBとなった今井氏(高校36回)である。時代の流れの中で山荘利用者は、減少の一途をたどっていった。だが、石神井の伝統と言うべきこの山荘を愛する心は、ずっと生徒達を通じて伝えられてきたことだけは確かなようである。

 そして山荘の理解者として忘れてはならないのが、父母と教師の会のご父兄たちである。父母と教師の会の方々には毎年我が子の課外授業の場を一目見ようと、多くの方々にご訪問頂き、その山荘の生活の一端を体験していただいている。山荘OGでいらっしゃった楓さん(旧姓新山・高校26回)は、父母を山荘にお迎えしたときの印象を、昭和54年の校誌石神井に次のように記している。

 「お母様方が山荘へ入られますと、料理係の私は針のムシロに立だされました。生徒の皆さんの食事を作るときと決して心構えは違っていないのですが、何といいましょうか胸がどきどきしていたような気がします。毎日食事作りをなさっているプロの口に合うかどうか心配でした。多少の不満があっても無理をして食べて下さったのではと、今になって思い返すことがあります。」

 山荘を訪れた父母の方々は、皆さん山荘のよき理解者となってくださり、今日までこの山荘を支えてくださっている。このPTAの山荘ツアーは平成23年の現在も継続されている。

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